『まぼろし』『さざなみ』に連なる、
シャーロット・ランプリングによる<ある結婚の風景>
本作は第74回ヴェネチア国際映画祭で主演女優賞を受賞したシャーロット・ランプリングの最新作である。今やランプリングは、ヨーロッパ映画のみならずハリウッドの大作にも出演し、数多の欧米のスターたちからも最大級のリスペクトを受けている稀有な存在だ。とりわけ、失踪した夫の幻影に憑りつかれた人妻を演じた『まぼろし』(2000)が一大転機となり、本格派女優としての新境地を拓いたことは記憶に新しい。それ以降、近年では、結婚45周年を迎えた夫婦のあいだに、不協和音のような取り返しのつかない亀裂が走る『さざなみ』(15)や、『ベロニカとの記憶』(17)などの作品で、老境にさしかかった女性の陰影深い心象風景を見事に表現し、その唯一無二な存在感は圧倒的である。
一見、平穏であるかに見えるアンナの日常には、大きな空洞があることに気づかされる。そしてその原因は、どうやら刑務所に収監されている夫にあるらしいことが、徐々に明らかになってくる。しかし微かな仄めかしはあるものの、夫がどんな犯罪に手を染めたのかは、全くと言ってよいほど説明されない。しかし、この冷厳たる家族の秘密によって、アンナ自身は次第に、容赦なく、精神的に追いつめられ、心身ともに果てしなく疲弊していくのだ。 『ともしび』は、老境に入って、ささやかで平穏な日常、家族との結びつきを根こそぎ奪い取られてしまったヒロインが、絶望の淵から生還し、ふたたび“生きなおす”決意を遂げる感動的なドラマである。そこには、40代で鬱病に苛まれ、さらには精神疾患で姉を喪い、二度目の夫とは彼の不倫が原因で離婚するなど、私生活において決して平坦ではなかったシャーロット・ランプリングという大女優の実人生が色濃く反映されているのは間違いなかろう。
主婦アンナと家族の背負った罪は、二度と許されないのか?
人生の終盤、誰もに訪れる後悔と失われた希望は、
それでも微かな光を見出だしていく…
ベルギーの小さな地方都市。老年に差し掛かったアンナ(シャーロット・ランプリング)と夫(アンドレ・ウィルム)は、慎ましやかな暮らしをしていた。小さなダイニングでの、煮込みだけの夕食は、いつものメニューだ。会話こそないが、そこには数十年の時間が培った信頼があるはずだった。しかし、次の日夫は、ある疑惑により警察に出頭し、そのまま収監される。
しかしアンナの生活にはそれほどの変化はないかに見えた。豪奢な家での家政婦の仕事、そのパート代で通う、演劇クラスや会員制のプールでの余暇など、すべてはルーチンの中で執り行われていく。自分ひとりの食事には、もはや煮込み料理ではなく、簡単な卵料理だけが供されることくらいが、わずかな変化だった。けれどその彼女の生活は、少しづつ、狂いが生じていく。上の階から漏れ出す汚水、ぬぐうことができなくなった天井のシミ、そして響き渡るような音を立てるドアのノックの音…。なんとか日常を取り戻すべく生活を続けるアンナだったが、そこに流れ込むのは、不安と孤独の冷たい雫だった。
やがてそれは見て見ぬふりが出来ないほどに、大きな狂いを生じていくのだった・・・。