『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』【8/27~】

2016/06/14

内藤礼との2年にわたる往還を経て、アートの本質を映し出す自信作
ドキュメンタリーともフィクションともつかない新たな映像表現が誕生する

これまで決して作る姿を見せてこなかった
内藤への取材依頼。しかし――――

体験した者に静かな驚きと歓びをもたらす作品を発表してきた美術家・内藤礼。代表作である《母型》(豊島美術館)は、そこにいるひと全ての存在を受け入れる、大きな生命体のような空間である。

《母型》に出会い、その場の持つ力に強く惹かれた監督・中村佑子は、内藤に取材を依頼し、2年にわたって撮影を続けた。しかし、「撮られると、つくることが失われてしまう」取材の半ば、内藤は撮影を拒否する。一度は撮ることを諦めかけた監督だった。

内藤の拒否によって映画は新たな次元へ。
「私」が《母型》の中で共鳴していく

しかし、時をおいて、中村は内藤のアートの本質である「生きていることは、それ自体、祝福であるのか」という問いに、内藤にはキャメラを向けずに迫ることを決意する。そして内藤の「不在」を埋めるかのように、5人の女性たちと出会う。
《母型》に集まり、そこで交わされる女性たちの傷みの感覚や、生と死に対する言葉。《母型》を撮らねばならなかった監督自身の内的必然性と、女性たちの感受性はやがて呼応し、祈りのような大きな〈存在の問い〉へ、解き放たれていく。

これまで決して作る姿を見せてこなかった
内藤への取材依頼。しかし――――

体験した者に静かな驚きと歓びをもたらす作品を発表してきた美術家・内藤礼。代表作である《母型》(豊島美術館)は、そこにいるひと全ての存在を受け入れる、大きな生命体のような空間である。
《母型》に出会い、その場の持つ力に強く惹かれた監督・中村佑子は、内藤に取材を依頼し、2年にわたって撮影を続けた。しかし、「撮られると、つくることが失われてしまう」取材の半ば、内藤は撮影を拒否する。一度は撮ることを諦めかけた監督だった。

内藤の拒否によって映画は新たな次元へ。
「私」が《母型》の中で共鳴していく

しかし、時をおいて、中村は内藤のアートの本質である「生きていることは、それ自体、祝福であるのか」という問いに、内藤にはキャメラを向けずに迫ることを決意する。そして内藤の「不在」を埋めるかのように、5人の女性たちと出会う。
《母型》に集まり、そこで交わされる女性たちの傷みの感覚や、生と死に対する言葉。《母型》を撮らねばならなかった監督自身の内的必然性と、女性たちの感受性はやがて呼応し、祈りのような大きな〈存在の問い〉へ、解き放たれていく。

内藤 礼 (ないとう れい)

― 存在の神秘を問う現代美術家 ―

1961年広島県生まれ。1985年武蔵野美術大学卒業。1991年、佐賀町エキジビットスペースで発表した《地上にひとつの場所を》で注目を集め、1997年には第47回ベネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館にて同作品を展示。主な個展に、1995年「みごとに晴れて訪れるを待て」国立国際美術館、1997年「Being Called」カルメル会修道院(フランクフルト)、2005年「返礼」アサヒビール大山崎山荘美術館、2007年「母型」入善町 下山芸術の森発電所美術館、2009年「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」神奈川県立近代美術館 鎌倉などがある。

パーマネント作品として2001年《このことを》 家プロジェクト・きんざ(直島)、また2010年には豊島美術館にて《母型》を発表。作品は、フランクフルト近代美術館、ニューヨーク近代美術館、イスラエル博物館、国立国際美術館などに収蔵されている。

poster22016年/日本 /87分/
監督:中村佑子
出演:内藤礼/谷口蘭/湯川ひな/大山景子/沼倉信子 他
配給:プレイタイム

上映場所 ソレイユ2(地下)
上映期間 8/27(土)~9/2(金)
8/27(土)~9/2(金) ①13:55

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