『オール・アイズ・オン・ミー』【3/3~】

2018/01/17

俺が音楽でこの世界を変える

長い準備期間を経て、2015年後半に『オール・アイズ・オン・ミー』の撮影が遂に始まった。
デス・ロウ・レコードで2PACと仕事をした経験を持つプロデューサー、L・T・ハットンは2PAC自身に自分の人生を語ってもらう為、まず自分が知っている2PACをベースにして、巨大なデータベースを築き上げ、それを“ザ・トゥパック・バイブル”と呼んだ。
「こういうシステムを作り上げた。2PACに関して知りたいことは、全て過去のインタビューで彼自身が言ったセリフで答えるという。なぜ2PACはノトーリアスB.I.G.に怒っていたのか? 2PACは実の父親の事をどう思っていたのか? 知りたいことは全て2PACが実際に言った言葉を使い、彼自身の言葉を映画にも使うと決めた。だからこの映画の企画には時間を要した。」
「みんな知ってる2PACの一面だけではなく、彼を全ての角度から見せる事にした。2PACは世間に対する不満が山ほどあった。そして、この若者はそれを実際に言葉にした。この映画は2PACの語られざるストーリーだ。YouTubeでは見られないし、ただの噂でもないし、他人が語っている話でもない。実際の2PACの声を追った映画だ。」
プロデューサーのデヴィッド・ロビンソンとL・T・ハットンに誘われた脚本家エディ・ゴンザレスとジェレミー・ハフト(「EMPIRE 成功の代償」)は2013年から脚本に取り組む。
「我々は、2PACという人間がどのように形成されたのかに焦点を当てたかった。その為には、彼の荒れた少年青年時代を描かなくてはならなかった。彼が子供の頃に苦しんでいたことを描きたかった。」
ゴンザレスとハフトは、2PACの作品や考え方の変化をより理解するために、2PACに関する情報を細部にわたってリサーチした。
ハフトは「2PACの子供時代から始めた。彼の母親アフェニはブラック・パンサーであった為、彼は教養があるだけではなく、社会に貢献し、権威を疑うよう育てられた。例えば、2PACは毎日ニューヨーク・タイムズを読み、アフェニはその内容について説明させた。彼が育ったのは、家族や義父ムトゥル・シャクールが日々FBIや警察から嫌がらせを受け続けるというとても抑圧された環境だった。貧困、人種差別、警察からの嫌がらせ、これら全てが2PACの世界観を造り上げた。そこを明確にしたところで、次に2PACの波乱万丈な人生が始まる...

 

ストーリー
奪われた尊厳を取り戻すために、世界を導くために、彼は叫び続けた。

ニューヨークのスラムで生まれ育った2PAC。
ブラック・パンサー党員の母に連れられ、住まいを転々としていたため、あまり周りに馴染めない辛い幼少期を送っていた。
役者に憧れていた彼は、12歳の時にハーレムの劇団に入団し舞台デビューを果たす。
1986年、一家はバルティモアに移り住み、2PACはバルティモア芸術学校に入学。
その頃から彼はラップに没頭することとなり、数々の詩を書き始める。
17歳の時、カリフォルニアに移り住むこととなるが、その頃には母親はドラッグ中毒で家庭は酷い有様と化していた。そんな中、彼はラッパーとなる夢を追い続ける。
1991年に2PACの名で、アルバム「2Pacalypse Now」でソロ・デビューを果たし、着々とその名を上げていく。
だがある日、レコーディングに訪れていたスタジオで強盗に襲われ、その身に銃弾5発を受けてしまう。
一命を取り留めた2PACは、事件はたまたま同じスタジオにいたショーン“パフィ”コムズとノトーリアス B.I.G.が仕組んだことだと思い込む。
西海岸のヒップホップ・レーベルDeath Rowレコードに所属する2PACは、東海岸のBad Boyレコードのショーン・コムズやビギーをことあるごとに非難し、ヒップホップ界史上最悪の東西抗争が幕を開けてしまう。
そして遂に、1996年9月6日ラスベガスで2PACは銃撃され、25歳の若さで人生の幕を閉じる事となる...

2017年/ アメリカ / 137分/ PG12
原題: All Eyez on Me
監督:ベニー・ブーム
出演:ディミートリアス・シップ・Jr./カット・グラハム/ドミニク・サンタナ/コリー・ハードリクト/アニー・イロンゼ 他
配給: パルコ、REGENTS   

 

上映場所 ホールソレイユ(4F)
上映期間 3/3(土)~3/16(金)
3/3(土)~3/9(金) ①13:30 ②20:05※レイトショー
3/10(土)~3/16(金) ①17:10

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